サウントオブ゙ミユージックを1968年中学の集団映画鑑賞会で観た。ミージカルというもの初めて観た。ドレミの歌は聞いたごとあったが、ミュージカルのよさなどわからない。音楽が鳴っているので眠らなかったが、英語で字幕見るのも慣れてなく、ストーリーが分からなかった。ホームルームで感想を言い合う。同級の女子達は「良かった良かったと」と話す。男子達は「つまらん」と感じているので意見など発言しない。僕は意見言えと迫られて「よく、わからん。ドレミの歌の映画だったのか」と発言した。
僕は音楽が嫌いだった。中学3年になろうとしているのに声変わりしてなく、コーラスのときは女子と男子の境の女子側に位置しての高音部を歌わされていた。男で女側で歌うのは2人いた。1人は背の低い男で、仲良しだつた。僕は背は高い方だつたが高音声をよくからかわれていたから音楽が嫌いになつた。高校に入ったら音楽科目がなくなり唄を歌わなくてすむことがうれしかった。
高校に入いると同級生は色気がでてきて彼女と洋画を観に行ってクラス内で映画が話題にしていた。たまたま悪友がサウンドオブミュージックの招待タダ券もつていて再びを観る機会がおとづれた。今度は少し大人になつていたのでパンフレツト読んで観た。映画館はタバコで吸ってよかつた時代で、タバコ吸いながら2回半も観た。後で悪友と感想言い合うことは一切なかつた。ナチスへ抵抗する映画だつたことがようやく理解した。僕はまだのど仏が出てなく声は高かつたので、だれもいないところでエーデルワイスを甲高い声でこっそり喉を鳴らした。
ずつと後、30代になり、日本のエーデルワイスと呼ばれているハヤチネウスユキソウが咲く東北の早池峰山へ単独行した。薄雪草はイメージ外れだつた。山頂はガスで視界は閉ざされていた。霧雨で濡れた身体を酒飲んで温めようとして呑みすぎて酔って山頂小屋で日が暮れて動けず泊まって下山した。「孤高の人」の加藤文太郎にかぶれていた時代でした。
この文書は動画貼り付けの練習のために書きました。