2015.5.12
その1
1971年砒素廃水流し放し新聞報道
最近、蔵書整理していたとき五木寛之の『青春の門』の本のなかにK先生からもらった新聞切り抜きが挟まっていのが40年ぶりにひょっこりでてきました。編集子が、高校のとき1971年秋の就職事情は売り手市場でした。所属していたアマチア無線の物理部クラブの顧問のK先生が就職担当者でした。各社の採用試験日は10/1と同じ日に集中していました。大手企業に2社内定し郵政職も合格します。内定した企業から、後で転勤同意書の提出求めてきたのが嫌になり辞退します。
2次採用試験の光和精鉱を受験して承諾書を10月中旬に提出した後に、K先生から「光和精鉱ヒ素流し放し」と中見出しの書いた新聞記事(1971.10.30付)の切り抜きを渡されます。K先生は「断ろうか」と言いました。公害企業に就職するのは不安でしたが、北九州全体が公害の街で公害ニュースが報道されていたので、成り行きに任せていつでも辞めればよいと気持ちで1972.3.1卒業式の1週間後に入社します。液処理施設は稼働したばかりでした。
昭和46年1971年10月30日 読売新聞記事
ヒ素、基準の5倍
戸畑の光和精鋼(ママ) 廃水流し放し
北九州市戸畑区、新日本製鉄戸畑工場内にある光和精鋼(ママ)(大久保安威代表取締役)が基準の5倍以上ものヒ素を含む工場排水をたれ流ししていることがわかり、市公害対策局は30日、改善命令を出した。 同社の排水はさる6月2日に福岡県が調査したさい、COD(化学的酸素要求量)が環境基準(最大15ppm)をオーバー、27.6ppmもあり、警告を受けていた。6月24日、調査権限が市に委譲されたため、同局は9月30日工場排水の採水検査を行なった。
この結果、人への健康を阻害する重金属のうち、ヒ素が2.8ppmも検出された。基準は0.5ppmなので。5.6倍もの濃度。このため同局は30日付けで、「11月30日までに排水処理の方法を改善せよ」と命じた。同社には排水処理設備はあるが、操作のミスがあったのではないかとみられている。同社は硫化鉄鉱から硫酸を分離、副産物として鉄ペレット。銅を生産、1日72000tの排水を洞海湾に流している。
昨年11月20日「公共用水域の水質保全に関する法律」に基づいて洞海湾が指定水域となり、沿岸56工場は健康に有害な重金属の排水を規制されている。CODやSS(浮遊物質)などの一般項目については段階的な規制となっているが、県45工場については調査した結果では、同社のほか戸畑鍍金、ミハラ金属など10工場が命令や警告を受けている。同局は各工場から提出された改善計画の期限が切れ次第、年内にも再び一斉検査をする。
また調査のすんでいない11工場の中には、新日本製鉄、三菱化成などの大工場が含まれ、水質保全法に基づく一般項目について猶予期間が切れる来月20日を待って立ち入り、採水検をする。【昭和46年10月30日 読売新聞夕刊】
(注)ヒ素の排水基準は現在0.5→0.1mg/Lに改定されている。
この事件が起こった1971年は、公害対策法が施行され直後で、多くの企業は環境優先の法令順守の経営理念が希薄でした。
「経済と環境との調和」の従前の公害規制の残滓がまだ残っていたのです。経済成長を阻害する過度の環境規制を配慮する行政方針が転換する時期です。経済成長と環境規制の並列する、「調和条項」は法律目的から削除されるのです。
光和精鉱の会社パンフレット表紙には「生産と環境の調和」とキャッチコピーが大きく書かれています。
(続く)