2015.5.24
経済と環境の調和(3)
「環境権と人格権」
1972年公害対策法改定で「経済と環境の調和」は削除され、健康、安全、経済より命(いのち)優先に、政策理念が転換します。
1993年の「環境基本法」では、行政として取り組む方針が書かれています。そこには、経済が環境を同列した思考はないのです。「経済と環境の調和」ではなく、経済と環境を共存して持続可能な地球環境を保全に努めることが書かれています。
企業は、利益追求するため存在し、「生産と環境の調和」が本音であります。産廃処理企業は、環境保全により努めることが社会的に要請されています。「健康を害するお惧れが生じないよう」に、「回復しがたい被害」のリスク回避するために、環境関連法は日々整備されています。
2011年に大気汚染防止法・水質汚濁防止法改正され、排ガスや水質の自主測定結果の記録改ざんに対して罰則も設けられました。これは、JFE、神戸製鋼所の測定記録改ざん事件が発端となりました。NOxSO2排出が基準値に達しそうになるとチャートの記録計のペンを浮かせて記録が残らないようにし、これが間に合わないときは超過の記録チャート紙破り取り別のデータを貼り合わせていたとの報告があります。
環境関連法は、性善説にたって、自主規制では利益優先の欲望を抑止でできず、大事件が発覚する度に規制法が追加されています。
地下水汚染未然防止として、有害物の貯蔵施設の定期点検の義務等は2012年6月から施行されています。既存施設は3年間の猶予期間がありますので、光和精鉱は2015年6月から法適用となります。(改正水質汚濁防止法(未然防止)のポイント解説(3) DOWAエコジャーナル 2012年7月1日 参照 )
放射能を完全にコントロールできなかつたことが、フクシマの悲劇を起こしました。利益優先の限りなき欲望が自然を破壊し、取り返しのつかない地球にならないように、いま、人間と自然と共存のために行動開始しています。
大飯原発再稼働差し止め仮処分訴訟で、「人格権の侵害」を根拠とする判決がでました。発電コストの経済性と危険リスクの見極めが争点です。川内原発では、再稼働認める異なる判決がでました。「生命と健康を害する惧れリスク」をどう判断するかは、世論が裁判へ影響を与えます。
1960年代の公害訴訟以降、環境権が認知されるようになりました。環境権は、人格権の一つです。1993年の「環境基本法」では環境権の概念は盛り込まれていないので、環境問題訴訟では、「人格権の侵害」で争うことになります。人格権とは、基本的人権の生命、身体、健康、精神、自由、氏名、名誉、肖像、信用、プライバシーなどの権利として民法で認められています。人格権が侵害された場合は、不法行為として訴えることができる時代になっているのです。
業界団体は、自分に不利となる法律改定に抵抗します。水銀の水俣条約の批准で、発電所、セメント、非鉄、産廃処理業等は、法律規制対象となりますが、鉄鋼業は、法規制対象外として、自主基準設定することになりました。自主基準が法律より厳しい基準とするのか未定です。企業は競争しているのですから、自社だけが法を上回る自主規制で操業していたら、コスト競争に負けます。産廃処理業の許可取り消しがあるが故に、自らを律して環境優先の操業を強いられます。ここに、稼働優先の欲望を法律で抑止しています。
会社パンフレットに「生産と環境の調和」は、経済と環境を同列に置いた幼拙.な宣伝語句(キャッチコピー)です。
「環境優先」と言うと、自縛することになります。ですが、環境基準を守って操業することが、地球環境保全の社会的貢献していることになります。「生産と環境の調和」ではなく「生産と環境の共存?」が正道です。回復しがたい被害が起こらないように、ミスをしても大きな事故とならないような対策を遅々であっても進めていく経営姿勢が問われています。 悪と善、白と黒と峻別できない矛盾は、弁証法的に解決されていくのが社会の法則です。
(おわり)
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