佐木隆三さん死亡

佐木隆三さん 写真 東京新聞WEBから 2015年5月撮影。死ぬ前4か月で、やつれた顔になっている。
佐木隆三さん 写真 東京新聞WEBから 2015年5月撮影。死ぬ前4か月で、やつれた顔になっている。

2015/11/3

ノンフィクション作家 故・佐木隆三さん

 

 佐木隆三さんが、2015/10/31 下咽頭がんで死亡しました。78歳

  たまたま、『復讐するは我にあり』の2009改訂新装版を中古本購入し、1976年初版と、どこがちがうのか対比していたところでした。30年過ぎた今頃改訂版を出したのかと気になっていました。各事件発生場所の地名は実在地名に書き直されています。それよりも改訂版はいたるところで、細部にわたり字句が校正され、そぎ落し、補足したりして、たいへん読みやすくわかりやすい文章表現に全面的な校訂されています。

 佐木隆三さんは、自分の作品の拙速な文書が後世に残るときのが許せなかったと思うのです。

 

   佐木隆三さんは、八幡中央高校卒業し、八幡製鐵所に入社して労働組合運動をし、職場文学サークルに入り小説修行をしています。兄が日鉄運輸で働いていました。

  デビュー作「ジャンケンポン協定」は、製鉄所の人員整理でジャンケン負けた人が退職する労使協定する。しかし、労働者は知恵を出して、あいこでしょを繰り返して、決着がつかない風刺小説です。1920年の製鉄ストライキを書いた『大罷業』は守衛責任者が編纂した戦前の『製鉄労働運動誌』などをベースに創作しています。初期の作品では製鉄所の怪我隠し、組合役員選挙など職場の出来事を題材として風刺小説がでした。

 八幡製鉄所を退職して、しばらくして『復讐するは我にあり』で直木賞もらう。それから殺人事件裁判記録をもとに小説をとして書くようになる。

『冷えた鉄塊』(1981年作)では原子力製鉄所を造ろうとする研究員を主人公に冷え街の経済小説を書く。製鉄所で原子力発電の排ガスを製鉄所で利用する研究はされていたようですが、実用化計画があったのか分かりません。石炭、石油エネルギーコスト対策として、放射能が事故で絶対?に漏れないとする安全神話が創られ原発建設促進される時期です。

 個人的には、殺人事件の裁判記録を小説にするノンフィクションはあまり好きではないのであまり読んでいません。佐木さんは北九州に帰ってきてから、『宿老田中熊吉』『大逆事件』とノンフィクション小説として発表しますが、文学小説とは違ったものです。  

 八幡製鉄所には『無法松の一生』の岩下俊作がいます。佐木さんはルポタジュ風の小説でした。

 作家や画家は、死後、その作品が評価されると言いますが、佐木隆三さんの小説は、川端康成、芥川龍之介のように文学として国語の教科書に掲載されることはないと思う。

 『復讐するは我にあり』は映画化され緒方拳の名演をまた観たい。そのあとのの沖縄やくざヒットマンの事件の『海燕のジョーの奇跡』は、モチーフがつまらんので映画も薦められない。