2015/2/10
1978年昭和53年5月人員削減
光和精鉱株式会社では、2/9創立記念日行事としてボーリング大会をコロナワールドで催し多数の参加者で楽しみました。創立記念日ボーリング大会は恒例行事です。2/10はプレー代安いので特定者のみでゴルフ大会も恒例行事です。
1970年代の始めには若戸スポールには、アイススケート場併設されていましたので、アイススケート券を家族にも配布していたことがあります。スケートしない人から券もらい何度も滑りにいった記憶があります。
創立記念日の恒例ボーリング大会は、昭和53年には人員整理で中止となった記憶があります。
光和精鉱㈱の1977年昭和52年決算は、累積欠損9.82億円になります。債務超過とならないようにペレット、沈殿銅などの製品価格に親会社から支援してもらい債務超過を回避した決算でした。支援を受けると、コスト削減を強いられるのは必然性があり、昭和53年に人員削減をおこないます。
そして翌年度、昭和53年5月末には社員35% 84名の希望退職をして社員は165名になりました。
皮肉にも人員削減したら、その翌年昭和54年にアメリカハント兄弟が銀の買い占めをして20倍近く高騰します。そのお陰?で、会社収支の累積赤字は一気に解消するのです。
当時、小笠原正巳社長は社内報で「神風が吹いた」と巻頭言で書いています。銀の価格は、元の建値に戻ると、会社収支はまた悪化していくのです。その後も2回の人員削減をして社員120名態勢にするのですが、組織の細分化、事務管理部の要員は増え、役職者の数は増え、派遣社員、常駐請負も増え、現在の光和精鉱で常勤している労働者総数は昭和53年の人員整理直後の人員を超えています。当時と仕事の質は変わってますが、大きく変化したのは管理職数が増えて、パソコンで細かい仕事を増やして人員が増えていることです。
過去の歴史を辿ればいろんなことが見えてくるが、経験のほう重視して、理論を軽視することを経験主義と言う。 昔しのことは問うな、先のことはわからんででは、未来は変えられないが、心配し過ぎると、うつ病になるので、ケセラセラで生きた方がよいのかも---
「つるりとむげて葱の白さよ」(山頭火)
首切りしたら神風吹いた (山頭火のマネ駄作)