2016/2/21
ハラスメント禁止の法源
マズローの欲求段階論で言えば、他人に尊敬されることを権威でおこなうとするとハラスメントが起こる。
権威的振る舞いする人も憲法では個人として尊重されます。人格を批判するのは自由なのです。違った価値観を持つことは当たり前です。それを批判することは自由なのです。ですが、人権は尊重しなければいけないのです。
ハラスメント禁止は憲法第13条に法源がある。以下有名な芦部憲法解説の抜粋です。
憲法第13条〔個人の尊重〕
全て国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。
『憲法』第三版 芦部喜信 高橋和之補訂 岩波書店刊
「個人の尊重」とは、要するに、「一人ひとりの人間を大事にする」ということである。人権とは、人間が人間として生きてゆくための不可欠な権利であり、人が生まれながらに当然にもっている権利であるとされるが、その根底にあるのは「個人の尊重」の原理である。それは、人権保障の根本的目的とする近代立憲主義の基底的な原理でもある、日本国憲法は、こうした近代立憲主義の流れをくみ、13条で「すべて国民は、個人として尊重される」として「個人の尊重」の原理を掲げる。「個人の尊重」は日本国憲法の基底的原理ともなっているのである。
憲法13条は、人権の章にある規定であるが、「個人の尊重」原理は人権保障にとっての基底的原理であるというだけでなく、日本国憲法が採用するすべての価値の基底に置かれるべきものとして理解されなければならない。平和・人権・民主主義(あるいは国民主権)が日本国憲法の三大原理だというのは、誰でも知っていることだと思うが、この三つの原理は、それぞれ別個のものというより、個人の尊重」という同じ根っこから派生している原理としてとらえるべきである。
「個人の尊重」とは、一人ひとりの人間を、自立した人格的存在として尊重するということであり、平たくいえば、要するに「一人ひとりの人間を大切にする」ということである。それは、一人ひとりがそれぞれに固有の価値をもっているという認識にたって、それぞれの人が持っているそれぞれの価値を等しく認めあっていこうというものである。だからここでは、人はみな、一人ひとり違う存在なのだ、というとらえ方が前提になる。
違う存在だからこそ、たった一人であっても、その人の価値は、「代わり」のきかない、かけがえのないものであり、尊重されなければならない、ということになるのである。このことが「人権」(=Human Rights=「人間として正しいこと」)における「正しさ」の基底的基準である。