2016/6/23
懲罰で威嚇
「ゼロ・トレランス方式」 とは、Zero (皆無)+ Tolerance (寛容)です。一切の例外や妥協、お目こぼしをせず「非寛容」 で、些細なこと、一見、無関係と思える小さな出来事まで、徹底して取り締まり、罰則を科して、根こそぎ規制することです。
1970年代アメリカで学校構内での銃の持込みや発砲事件、薬物汚染、飲酒、暴力、いじめ学級崩壊が深刻化してゼロ・トレランス方式の厳罰主義がその対策としてとられるようになりました。日本でも2000年代各地で児童生徒問題事件が頻発して、2006年から「ゼロ・トレランス方式」が学校で導入されています。罰則規定を定めた行動規範を生徒・保護者に示し、破った生徒にはただちに責任を取らせる。ルールを破った生徒には、容赦なく罰則を与えます。
行き過ぎた悲寛容の指導と懲罰が、恨みや反感を生み、また生徒が自責により自殺する事件が起こっています。ムチで叩く体罰より、精神的な痛みの方が辛いのです。
八幡製鉄所構内では、禁制事項違反のイエローカード発行し、違反者には再教育受けさせます。
交通違反者はマイカー通勤を自粛することを規則定めて徹底し、同僚も連帯責任を求め構内道路で安全呼掛けの辻立ちをさせます。この措置はゼロ・トランスです。通勤は指揮管理下にない労働時間ではないので、懲戒する法的根拠はないので、自ら罰する自粛を義務づける規則をつくっています。
「先人の血で書かれた禁制事項の遵守」を懲罰で威嚇するのではなく、丁寧に事故事例を反復的に教育におこなうことの方に重点を置くべきと思うのです。教育することを躾をする云うのは、労働者を犬猫と同列にする侮蔑しているようで嫌な言葉です。