2016/7/26 06:13
転籍時賃金は同和水準の10%増。
光和精鉱 (昭和36年2月10日設立) 創立時期の要員は、同和鉱業の人員合理化で転籍した人で操業開始します。
同和鉱業株式会社と同和鉱業労働組合連合会は、次の転籍条件の労使協定を締結した。当時の光和精鉱株式会社は、この労使協定を尊重して同和並の労働条件改定に努力しています。
光和精鉱労働組合が結成されたのは昭和37年12月20日。昼休みに更衣室で社員総数98名中55名出席し結成大会を開催します。小笠原正巳工場長が挨拶しています。役員信任投票選挙は12月25~26日実施。12月27日、新年前に執行部が選任されます。当時の組合活動は、同和鉱業と同一労働条件を会社へ履行されることに活動の重点が置かれていた。組合規約は会社が指導して作成され、労働組合法の適格要件である組合大会開催が規定されないのです。
工場操業軌道に乗りると組合職場代議員会で「賃金は同和鉱業より10%高くする約束で転籍した。同和並では労働組合はいらない」とする組合員から意見が出るようになります。会社は昭和44年に職務給導入して賃金体系を変更し、同和鉱業賃金と比較困難になります。
同和鉱業からの転籍の労働条件は、当分の間の措置であり、未来永劫、同和鉱業の労働条件に準じると約束したものではありません。同和並、同和以上が遠隔地へ転勤してきた人達の心情です。一般社員よりむしろ管理職のほうが同和準拠を強く求めていたようです。会社は昇格定数枠を緩和する。同和鉱業準拠が崩れたのは、硫化鉱硫酸の構造的な不況となる昭和50年の春闘の賃上げからです。
月日は過ぎ、親会社は分社化を進め、同和の労働条件を超えない諦念(あきらめ)感を持つ社員が増えています。非正規社員の人種差別のような身分制度は、正規社員の賃金を抑える重石の役割を持っています。
同和鉱業岡山工場から光和精鉱転籍条件の労使協定抜粋 (昭和44年10月31日)
1、社宅、独身寮は当分の間、同和鉱業とほぼ同一条件とする。
2、賃金基準水準は、同和鉱業の同一または類似職務に従事する場合の水準より約10%高い水準で決定する。
3、退職金は当分の間、同和鉱業に準じるものとし、勤続年数は同和鉱業在籍期間を通算し、退職時支給された退職金は控除する。
4、その他労働条件は、当分の間、同和鉱業に準じた取り扱いとする。
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